クリエイター
中村 健治Kenji Nakamura
1970年生まれ。2006年放送の初監督作品『化猫』(『怪 〜ayakashi〜』内の一篇)で大きな反響を呼び、以降、スピンアウトとなる『モノノ怪』をはじめ数々の作品で監督を務める。作中で扱うテーマは社会派から日常系までと幅広く、色鮮やかな画面と斬新な解釈で独自の世界観を構築する。
WORKS
- 劇場版『モノノ怪』(MOVIE)監督
- 『ガッチャマン クラウズ インサイト』(TV/2015)監督、絵コンテ
- 『ガッチャマン クラウズ』(TV/2013)監督、絵コンテ
- 『つり球』(TV/2012)監督、絵コンテ、演出
- 『C』(TV/2011)監督、絵コンテ、演出
- 『空中ブランコ』(TV/2009)シリーズディレクター、絵コンテ、演出
- 『モノノ怪』(TV/2007)シリーズディレクター、絵コンテ、演出
- 『化猫』(TV/2006)シリーズディレクター
INTERVIEW
中村監督の今の道につながる原体験みたいなものって何でしたか。 あるとき、『無敵超人ザンボット3』を見たんです。富野由悠季さんが『機動戦士ガンダム』を作る前に手がけられた作品ですね。それまでの僕はアニメをなめていたので、「ふーん、そこそこ面白いね」ぐらいの感じで見ていたんだけど、ストーリーがすごくシリアスで。最終回で泣いちゃったんです。自分にとって「作り物」だと思っていたアニメで泣くという、初めての体験。その後再放送があって、ビデオデッキがまだないからカセットテープに音声だけ録音したりして。まだ子どもだったけど、「誰が作っているんだろう、なんでこんなに面白いものを作れるんだろう」と思うようになりましたね。
早いうちから作り手に興味を持ったんですね。 もう一回そういう体験をしたいと思うようになって、アニメを見るようになりました。漫画は親に最初読ませてもらえなかったので読み始めたのが遅いんですが、漫画熱も高まって。中学、高校ぐらいになると漫画やゲームにも「感動したい欲求」を求めるようになっていました。もともとは「アニメなんて作り物じゃん。それよりもっとリアルなものがいい」って言っていたくせに、どんどんと架空のもの、ファンタジックなものに惹かれるようになっていきました。
中村監督の作品はすごくオリジナリティーがありますよね。どういうところから考え出されているんですか。 まずはどう作るのが一番いいのかを、いろんな視点から考えます。あとはスタッフたちの得意なことをやってもらったほうがいいと思っていますね。逆に言うとスタッフの方達には、多少無理してでも一緒に考えてもらうし、嫌だって言うことをやれって言う時もあります。でもそれでその人の面白い扉が開くこともあるんですよ。他の現場でうまくいかなかった人がこっちでは活躍してくれることもあるので、できるだけ偏見を持たずに人に接することにしています。
中村監督自身のこれからの夢を聞かせてください。
これからまだアニメーションを作っていくとすれば、世の中にないよりはあったほうがいいものを作りたいですね。今って叩かれたり引きずり下ろされることが多すぎるけど、「じゃあそれなくなっていいの?」って思うことがあるんですよ。 わーっと叩いて、たとえばその漫画の連載がピタッと止まっちゃったら、楽しくないでしょう。
それと同じで、色々問題があったとしてもよくよく考えるとアニメーションに限らずコンテンツって、ないよりはあった方がいいと思われる物が実は多いんじゃないかなと思うことが個人的には多いんです。それなら、「こんな作品なくてもいいんだろうな」って思いながら作るんじゃなく、「この作品があることで誰かが笑ってくれたら」って思いながら作品を作って行きたいですよね。そこがはずれていると、どれだけ売れていてもダメだと思う気がして。甘いかもしれないですけど、誰かにとってはくだらないって思われても、別の誰かには「楽しかった」って言ってもらえるならそれでいい。そうやってみんなが優しくなるお手伝いをしたいです。
作った人も見た人も優しくなれるような作品作りということですね。 今はみんな余裕もないし、ちょっと傷ついていますよね。そればかりになると本当に辛い。もちろんアニメってビジネスでもあるから儲けたいとか当てたいとかそりゃありますよ?(笑)でもそれだけだと作品は残っていかない気がするんです。10年、20年たっても面白いって言ってもらえるコンテンツには、何か強度があるんだろうと、そこが気になります。それと僕は、アニメーションって 油断していると世の中になくてもいいものに時々なるとも思っているんですよ。そうなる事を回避するためにせめて皆さんの何かのためになる要素が、自分が関わるコンテンツに入っていればっていう少しお節介な思いなんですよね。